私の兵隊さん

先の投稿にあった、祖父が書き続けている回想記とはこちらです。

この二冊は序章に過ぎなく、まだ祖父は兵隊さんにもなっていないところで終わってしまいました。私の兵隊さんは超長編で、あと10冊近くあるんです。。

電気通信の会社に入り、中国ハルピンで勤めていた祖父が二十歳を迎え、いよいよ、我にも兵隊入営の日が迫ってきている、通達が来てからの二ヶ月が、走馬灯の様に、非常に濃厚に書かれていました。

1日、いちにちを、本当に噛み締めて過ごしていたのだなぁと感じます。記憶だけで書いているのか?わかりませんが、事細かな描写に驚いてしまいます。

それほど、あの時代の人々は常に死を覚悟しながら生きていかなければならなかったのでしょう。

祖父もまったく普通の暮らしをしていた、普通の会社員。そんな普通の人たち、若者たちが、戦場へいくことも、自分の父親たちもそうだったのだと、国のためと、普通なのだと、受け入れるしかないことが、とても悲しいし、惨い。

仕事での評価も嬉しい事は覚えていて、書き記されていました。このままここで仕事を続けていられたら、また違う人生だったのでしょう。ポツダム宣言後は、祖父のいた会社も無くなってしまいます。

祖父は戦後の事は書き残しておらず、兵隊さんになる二十歳前後の回想記を書き続けています。家族が出来てからのことは別の意味で目まぐるしかっただろうけど、平和で幸福だったのだと思います。

渦中の紛争だけでなく、世界では今もどこでも争いは絶えず起きていて、善と悪という単純な構図でもない、一見では複雑なこの国際問題を、遠くの私たちが説くことも、ほんとうのことなんて知ることもできない、わからない世界。知れないことはある意味幸福なのかもしれないし、平和ボケと言われるのかもしれない。平和ボケで何がいけないのだろう?みんなそうなればいいのに、なんて、子供が考えるようなことしか願えない。そんな自分が情けなくなる。

今を生きる誰もが、”たまたま”の奇跡の中で生きている。

祖父の回想を読むと、そんな風におもってしまうのです。

私の兵隊さん

また、あした

世界と僕は戦っている

きっと世界が勝つだろう
僕に味方はいるのだろうか?

ああ 世界は今日もまた、少し 退屈になっていく

でも君のことが好きになったから
冷たい空しさをまぎらしながら歌っていることにしよう

ついでに 謎の教師に尋ねてみよう

友達って何の役に立つんですか?

.

世界と僕は戦っている

きっと世界が勝つだろ
僕に仲間はいるのだろうか?

ああ 世界は今日もまた少し 残酷になってゆく

でも君とふたりでいられるなら
乾いた悲しみを 笑いにかえて踊っていることにしよう

ついでに 謎の教師に尋ねてみよう
恋人ってそんなにいいもんですか?
.
なまけものの友達も

あまのじゃくの恋人も
なぜか明日に望みを託す

むやみに元気な恋人や

笑いを忘れた友達は
迷いを捨てて 明日へ走る

.
世界と君は戦っている

たとえ世界が勝ったとしても
君はけして負けないだろう

疲れたらおやすみ

いい夢を見て また、あした

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平成10年度(第65回) NHK全国学校音楽コンクール 高等学校女声三部合唱 課題曲

また、あした

作詞・島田雅彦

作曲・三枝成彰

あの日たまたまTVでみたNコン、課題曲なので何回も聴くことになる。すると頭から離れなくなり、当時高校生の私は”セカイ系”のこの歌に引きずり込まれてしまう。そして時々思い出す。

私は、世界のどこかで争いが起きても、ただ祈ることしかできなくて、やっぱり家族や友人の幸せが大事だ。私にとっての世界は、そういうことだった。

また、あした

遠くへ行きたいけど

せめて国内でも、あちこち仕入れの旅に出たいところですが、また少し辛抱の時でしょうか。

しかし出かけたい欲も抑えられず、人混みを避けつつ、県内や近隣でどこかないかといろいろ探していると、地味ながらも面白いスポットがあるんです。

美濃地方ならやっぱり焼き物!地方の郷土歴史資料館などはコロナ関係なく貸切状態ですが、内容は充実しています。都会の博物館のような、超一級品は収蔵されていませんが、多数の佳品を見ることができます。

山と川に囲まれ、資源に恵まれた岐阜県は、ものづくりの産地として切り拓かれていきました。特に桃山陶器は、独創的で、前衛的。他に類をみないものです。わたしは、まだそこに素の美しさを見ることが出来ないのですが、古いから、桃山陶だから素晴らしい、というフィルターを取って、手に取ることができるものと出会えたらいいなぁと、夢みるようにおもっています。。

歴史博物館や資料館では必ず、刊行物をいくつか求めます。一般の出版物とは違い、研究発表のようなものなので、専門的でとても簡潔です。

荒川豊蔵資料館や近辺の博物館へ

新しい建築にも触れて

じつは藤森さんの建築に入るのは初めてでした。建築もマニアというほどではありませんが、私はとくに近代モダニズム建築が好きで、あちこち見ては理想の家を頭の中では設計しています。

藤森さんの有機的な線、大きな土に包まれると、不思議と安心感がありました。

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そういえば我が家の本棚は、コロナ禍により古本はみるみる増えていきました。美術書や歴史書を中心に。むかしはデザイン関連、写真集や画集に惹かれたけれど、ネットの普及もあり、あまり手に取らなくなってきました。すぐに開かずとも、頭の片隅にあると、ふとした瞬間繋がるもので、本は、自分の頭にはとても入りきらない膨大な知識を、ストックしてくれるのです。(たぶん) それを引き出せないと意味ないのですが…

しかしお客様や同業の方々の本棚を見ると、みなさん研究者かと思うほどお持ちの方もいます。なのでうちはまだまだ増えても大丈夫かなと思ってます笑 理想の家には書斎を作らないとね。

私はあまり活字は得意ではありませんが、店主は一日中、古いものと書籍を眺めています。その集中力には身内ですがいつも感心してしまい、それくらい熱心に若い時勉強してたらねぇ、人生変わってたかもねぇ。なんて揶揄ったりするくらいです。

知らないことが多すぎて、勉強することばかり。

古い焼き物ひとつ触れても、たとえばヨーロッパであっても、源流は東洋であって、、と世界の繋がりを知ると興味が尽きません。

静かな場所で学びながら、帰りには美味しいケーキなんかも楽しみのひとつ🍰

遠くへ行きたいけど

むかしの風景

猫の絵に衝撃を受けて

ずっと探していた古い画集をようやく手に入れることができた

作品をみると、風景画も静物画も多く描いていて、晩年の静物画がとくにすきだった

しかし気になった猫の絵は、二作しか描いていなかった

それがまたよかった

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明治生まれ、昭和初期の画家

もし自分がそのころの時代に生きていたら

私も画家になりたかったとおもう

画家で食べていけたかは置いておいて

絵を描いたと思う

目の前のきれいな景色を

きっと描きたかったと思う

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私の祖父は大正うまれ

もうすぐ100歳になる

耳が遠くなった以外は

驚くほどしっかりしたおじいさんだ

80歳を過ぎた頃にいろいろ思ってか、回想録というものを書き始め、(※よくよく聞くと、製本したのはその頃で、書き始めていたのは1980年代からだった)子供の頃の記憶、戦争のとこ、中国へ行っていたこと…私の知らない祖父の昔話を知った

ワープロで打ち、自分で製本していた

それからもう20年も過ぎようとしている…

つい最近顔を出したら、いまだにワープロで書いていた…

主人はおじいちゃんのことをアーティストだと言う

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自分が生きていた証は

どんなことで残せるのだろう

私はあるときからつくることをやめて

伝えることができたらいいとおもった

美しいものを残してくれた

残っていてくれたこと

むかしの風景

謹賀新年

ずいぶんとここを放置してしまいました。

いまだコロナ禍の状況は抜け出せないままですが、穏やかな年になることを祈って

昨年も、ほんとうにたくさんの方々に支えて頂きました。お礼としての返答は、とにかく自分たちの仕事を高めていくこと。精進します!

日々の生活の中で、どんなことが幸福なのか。小さな幸せを積み重ねて、心を豊かに穏やかに過ごしたい。たとえば、旬の食材をいただくこと。それに合わせたナチュラルワインをいただくこと。静かに好きな音楽を聴くこと。道端の草木を見ること。日当たりが変わるごとに移動しては眠る猫を眺めること。図書館や公園でぼうっとして過ごすこと。。そんな些細な日常を積み重ねて、見る眼と感覚を養いたい。

そして今年は、長年変えなくてもいいと思っていたことに向き合って、変化して行こうと思います。ずいぶん長く悩みに悩んでいたことですが、自分の中でいろいろと腑に落ちたので、このまま進もうかなと思っています。いつかご報告出来るまで…なので一層頑張る年となりそうです。

今年も可児市の大豊軒さんの御節をいただきました。ありがとうございました。幸せのはじまり。

新年から成人の日までの開店日には、連日多くのお客様に恵まれました。あいかわらずマイペースな自分たちですが、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2022年1月

本田恵

謹賀新年

吉田次朗展

吉田次朗の空間と立体造形

無事に終了致しました!

毎日毎日たくさんのご来店、心より御礼申し上げます。

何から綴れば良いのか、頭の中がまだ未整理のままです。

言葉にするのは難しいのですが、次朗さんはよく言う、少年のような人といった純粋さが、人にも作品にも現れていて、見て触れると自分もそんなころの気持ちに引き戻されるように感じられます。

小さなお客さまが、次朗さんの花器をみて、ママ、これ色塗るなら何色にする?って言ったのです。その時私たちはハッとして、これはまだ色が塗られていない途中のもの、塗り絵の枠だけの絵のようなものに見えたのかなと。

そういえば、私も初めて次朗さんの白いお皿を見た時、同じようなことを思ったのを思い出したのです。ここで手を止められることは、考えてできるものではないな、と。

ふしぎなオブジェやうつわにも、初源的なカタチと自然物のままのような粗さがあって、理由なく惹かれるのは、やはり清らかさなのではないかな。

暗い気持ちになりがちな日々。誰もが大変で辛いとき。でも展示に来られた方々は皆さん大喜びで、笑顔にあふれていました。展を開催できた事に、本当に感謝致します。

吉田次朗展

「と、本田」

京都の北にある素晴らしい花屋、みたてにて、古物と花の展示会を行う運びとなりました。

みたてさんと展を開催するにあたり、去年から度々お話をさせていただくうちに、花器を見立てて探すのが楽しみで仕方がありませんでした。

ご主人の西山さんは物静かな語り口ですが、話をしていくにつれ、内に秘めた熱い思いに魅せられました。花への思いは勿論、店内の素晴らしいしつらい、花を生けることに対してのご自身の立ち位置とその考え方、季節毎に開催される会の哲学など、自然と引き寄せられ、こうして巡り会えたご縁にわたしはとても幸運だと思いました。

並々ならぬ思いを秘めた二人が、花と古物と空間で、訪れた人に今伝えられることはどのようなことなのでしょうか。

春から夏、約四ヶ月もの間、時を経た花器に、季節ごとの山野草が添えられる。無常の花と古物。どの瞬間に立ち会えるかは、行った人だけのお楽しみです。

(みたてさんに作っていただいたご案内状には、ちょっとした仕掛けがあります。長期にわたる展示ですので、後々その仕掛けに気付いてもらえたら嬉しいです)

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以下、みたてさんより

「と、本田」

本展では、岐阜の古物商「 本 田 」
が選んだ花のためのうつわが「 みたて 」に並びます。

古物と花、それぞれ異なる『眼』を持つ二人が会期中、幾度となくうつわを選び、花をいける中、往復書簡を交わすように互いを識り、問いかけ、呼応し、まだ見ぬ景色を探っていきます。

その中で邂逅する景色が、お越しくださる方々の心に届き、また新たに広がっていく。
そのような機会になれば幸いに思います。 

期間:2021年4月7日(水)~ 7月末

営業時間:12:00~17:00

※予約方法など、詳細はみたてさんのwebにてご覧ください。

「と、本田」

2020-2021

久しぶりに岐阜で過ごす年末年始なので、大そうじでも頑張るぞって意気込んだのに、もう今年が終わりそうです…

お正月はずっと帰省する毎年だったので、今年は帰らないし、お正月飾りでも作ってみようかなと思い立って作り始めると、なんだか夢中になってしまいました。大そうじもこれくらい集中できたら良かったんですけどね。

そんなこんなで、年始は3日から営業してみることにします。毎年早めの年始営業のリクエストをいただきながらも叶いませんでした。お時間持て余している方、覗きに来てみてください。

先日の青花の会骨董祭は、悪化する状況の中で、お客様には不安の中お越し頂かなければならない事に、とても葛藤がありました。

会場では細心の注意を払って開催されていましたし、私たちも念には念を、外食をせず自家用車のみの移動で最小限の動きを心掛けました。

そのような事は窮屈で少し残念ですが、健康第一で帰ることを目標にしたので、また来年頑張ろうねと心に留め、帰路につきました。

骨董祭では、来てくださったお客様の笑顔に、こちらばかり励まされていた気がします。それから今年は通販のお客様にもたくさんたくさん助けて頂きました。本当に感謝しかありません。おかげさまで骨董祭の結果は満足のいくものになりました。

ありがとうございました

関わってくださった全てのみなさまに

感謝をこめて

2020.12.31

本田恵

2020-2021